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高松高等裁判所 昭和40年(う)336号 判決

主文

被告人の本件控訴及び検察官の本件控訴中強盗(公訴事実第二)に関する部分はいずれもこれを棄却する。

原判決中強盗(公訴事実第二)の点について無罪を言渡した部分を除くその余の部分を破棄する。

被告人を懲役五年に処する。

原審における未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

<前略>

同二(起訴状第三の公訴事実)について。

所論は、原判決が、被告人の本件所為は、被害者K子に対する強姦の準備行為には該当しても、未だ強姦罪の実行行為に着手したとは認められないとして、無罪であると判断したのは事実誤認であるというのである。

よって、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも斟酌して検討するに、<証拠>を綜合すると、被告人は、昭和四〇年二月八日午後九時一五分頃いわゆる白タク営業をなすため、被告人所有の普通乗用車を運転して高知市中須賀交差点附近にさしかかったのであるが、同所において客として高知市南秦泉寺所在敷島紡績高知工場工員K子(当二〇年)を後部座席に乗車させたこと、同女は行先を敷島紡績高知工場と指示したのであるにかかわらず、被告人は、同工場の所在地を知っていたのに、同工場へ行くのには通常通らない道順、すなわち、勧進橋、国鉄土讃線福井踏切及びバス停留所福井を経て本件現場である同市福井町奥福井通称茶山まで自動車を操縦して同女を連行していること(前記検証調書添付の第一見取図参照)、被告人の操縦する自動車が前記バス停留所福井附近で右折しないで直進したとき、同女が「私この道初めてやけど」というのに、被告人は「こっちからでも行ける」といってそのまま進行し、本件現場の手前五〇米位の地点で同女が「道が違うから元の所へ引返して下さい」というのに、道路東側にある前記茶山の草原の空地(野村祐延方から西南方約二八米位の地点)に自動車を乗り入れて停車したのであるが、当時雨が降っており、時間は既に午後九時半近くになっていたこと、同所は、山間の淋しい場所で、附近に人家は尠なく、同所から東北方約二八米の地点にある前記野村祐延方が最も近くにある人家で、南方にある森本政盛方及び東南方にある戸田秀雄方はいずれも約一〇〇米位距たつており、他には人家がなかったこと、被告人が自動車を運転して来た道路は幅員約三・五米位の狭い田舎道であったし夜間であったため殆んど人車の住来もなかったこと、被告人は、自動車が故障したわけでもないのに「車がエンコした」といって下車し運転席のドアを閉め、停車した位置が前部がやや高くなるような傾斜地であったため、各後車輪に石で歯止めをし、自動車の右前方から自動車に近寄り後部座席の右側のドアを開いてK子のいる座席に乗りこもうとしたこと、その際、既に貞操に対する危険を感じていた同女は、咄嗟に被告人の開いた乗車口から飛び出して、被告人の傍をくぐり抜けるようにして現場を逃れて、前記戸田秀雄方に救いを求めたものであることがそれぞれ認められるのみならず、前記に認定したように、被告人は、昭和三九年一二月二日夜にはM子を自己の運転する自動車に乗車させて強姦しょうとしたことがあり、検察事務官作成にかかる被告人の前科調書によると、被告人には、昭和二六年八月二三日及び昭和三二年一一月一日の二回に亘り、高知地方裁判所において強姦致傷、強姦、強姦未遂罪等により各懲役五年に処せられたことがあること並びに被告人の検察官に対する昭和四〇年三月四日付供述調書によると、被告人は、M子を強姦しようとした事件について取調を受けた際ではあるが、検察官に対し、「私がどうして女の人に対して乱暴をするのか、その気持は、女の人を口説いて関係したり口説きおおせんときは暴力を振っても関係することに興味を持っています。同じ様な罪で二回も刑を受けておりますので、また、このようなことがばれると相当重い罪になることは十分判っておったのですが、それでもなおやめることができなかったのです。乱暴することを一途に思いこみ外のことを考える余地がなかったのです」と供述していることが認められるのである。右に認定した各事実に徴すると、前記茶山までK子を連行する必要等の特段の事情の認められない本件においては、被告人は、同女を乗車させてから間もなく同女を強いて姦淫する意思を生じたと認めるのが相当である。被告人は、被告人が進行した道順について、当審の検証期日において、前記認定の道順とは異なる旨供述しているのであるが(前記検証調書添付の第一見取図参照)、右供述は証人K子の供述に照してにわかに信用できなく、また、被告人は、原審第一回及び第五回各公判期日において、「女を車に乗せたことは事実であるが、福井の方へ行ったのは、私はその日の前二日間徹夜して麻雀をしたため眠くて道を間違えたのであり、引返す途中で車を落し、動かなくなり、恰度雨が降っていたのに女が傘を持っていなかったので、私のレインコートを貸そうと思い女のところへ行ったら女が逃げたのであって、強姦するつもりはなかった」旨供述していることが認められるが、右供述記載は、前記認定の運転経路及び被告人の職業歴並びに当審証人K子の尋問調書に照して到底措信することはできない。なお、原審及び当審における証人野中晴芳の各供述記載によると、本件当夜被告人の運転していた自動車の後輪が現場附近の道路西側の竹藪に落下していた事実が認められ、被告人はK子を乗車させていたときに後輪が道端に落ちた旨供述するのであるが、しかし、当審証人K子の右尋問調書によると、右のような事実は全く認められないのであって、右は、被告人が、同女が下車して前記戸田秀雄方に救いを求めた後、自己の自動車の方向転換をしていた際、後輪を道路外に脱落させたことが窺われるから、右事実があるからといって、前記認定を妨げるものではない。

元来、犯罪の実行の着手の概念については、学説上主観説及び客観説の対立があり、或は、犯意の成立がその遂行的行為によって確定的に識別せられるときここに着手があるとか(主観説)、或は、犯罪構成要件の一部を行ない又はこれに近接する行為をなすことであるとか、或は、経験上犯罪に一般な行為を開始したときであるとか、又は、犯罪の危険が現出したときであるとか(以上客観説)、その説くところは区々に別れているところ、判例は古くから客観的立場に立つものであることは周知のとおりであるが、そのいずれの立場をとるにしても、各具体的事件に即して、着手と予備との区別が明瞭を欠く場合の存することは否定し得ないのであるが、結局、各個の具体的事件について、当該行為が、外部から観察して、結果発生の危険がある客観的状態に達したか否かによって決すべきであると解するを相当とする。

さて、本件についてこれをみるに、前記認定の各事実、ことに、被告人が自動車を停車した地点が附近に人家の尠ない山間であり、道路の往来は殆んどなく、時間は既に午後九時半近くであり、当時小雨が降っていたのみならず、被害者K子は狭い自動車内に監禁された状態にあったのであり、引返してくれと懇請する同女の言には耳をかさないで、被告人は、自動車の両後輪に歯止めをしたうえ、無言で自動車後部の右側ドアを開いて右座席の中央部に腰かけている同女に近づくため乗車しようとしたのであって、この行為により同女は強度の畏怖状態に陥っていたことに徴すると、被告人の右行為は同女を強いて姦淫するための無言の威圧行為であり、ひいては、強姦の手段である暴行もしくは脅迫行為に極めて近接した行為であり、右行為によって、同女に対する強姦の危険が外部から客観的に優に観察し得る状態に達したというべく、したがって、被告人の前記所為は、強姦の予備行為をもって目するのは失当であって、強姦の着手行為であると認めるのが相当である。

然るに、原判決が、被告人にK子に対する強姦の意思のあったことを認定しながら、前記程度の行為では未だ強姦罪の実行の着手があったとすることはできないとしてこれに対し無罪を言渡したのは、法令の解釈適用を誤った違法があるものというべく、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。(加藤謙二 木原繁秀 越智伝)

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